奇皇后は1333年、貢女(コンニョ/高麗王朝が差し出した女性のこと)として、中国大陸を支配する元に渡って皇帝のトゴン・テムルの側室となった。しかし、正室が世を去って皇后の座が空いても、新たな正室になれなかった。やはり元の出身ではなかったからだった。
皇帝の息子を産んだ奇皇后
トゴン・テムルは寵愛する側室の奇皇后を正室にしたかったが、それは無理だった。やむなく、彼は元の名門部族出身のバヤン・フトゥクを正室として迎えた。
しかし、奇皇后がトゴン・テムルから一番愛されていたことは間違いなかった。
1338年、奇皇后はトゴン・テムルの息子アユルシリダラを出産した。正室にはなれなかったが、奇皇后は元の皇室で立場が強固になった。
それは、正室のバヤン・フトゥクを上回るほどだった。
奇皇后は協力者である高龍普(コ・ヨンボ/高麗王朝出身の宦官)とつるんで皇室の財政を握り、人事にも強権を発動するようになった。
こうなると、奇皇后の立場はますます強くなる。なにしろ、官僚たちの人事を自在に動かせるので、自分のまわりを一派で囲むことも可能だった。
増長した奇皇后が次に狙ったのが、わが子のアユルシリダラを皇太子にすることだった。しかし、これは容易ではなかった。
正室のバヤン・フトゥクが息子を産む可能性が残っていたからだ。(ページ2に続く)