奇皇后は中国の皇室にどう食い込んだのか

 

1333年、貢女(コンニョ/高麗王朝が差し出した女性のこと)として、中国大陸を支配する元に渡った奇皇后は、その後はどのようにして元の皇室で力をのばしたのだろうか。元に入った奇皇后のその後の人生を追ってみよう。

写真=韓国MBC『奇皇后』公式サイトより

皇室付きの女性として推薦された奇皇后

奇皇后はたぐいまれな美貌を持っていた。
そのことを強く意識したのが、元の皇室で宦官(かんがん/去勢された官僚)として働いていた高麗王朝出身の高龍普(コ・ヨンボ)だった。
「あの女は絶対に使える」
そう考えた高龍普は、自分の出世に奇皇后を利用しようと考えた。




高龍普は有力者に働きかけて、奇皇后を皇室付きの女性として推薦した。
このもくろみは成功した。
何よりも、奇皇后の美貌がそれを可能にしたのだ。
当時の高龍普の立場はどのようなものだったのか。
元は巨大帝国として中国大陸を支配して、少数のモンゴル出身者に権力を大いに与えていた。
しかし、それにも限界があった。(ページ2に続く)

奇皇后は果たして何をしたのか?

奇皇后に象徴される貢女(コンニョ)とは何か?

〔特集〕奇皇后の生涯!高麗王朝の怪女(前編)

〔特集〕奇皇后の生涯!高麗王朝の怪女(中編)



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