たぐいまれな美貌
貢女として元に渡った女性の苦労は並大抵ではなかった。
風習が違う異国で暮らすのはつらかった。
自殺者も多かったと言われている。
高麗王朝が元の支配を受けた結果としての悲劇であった。
奇皇后も当初は泣きながら元に渡った。
彼女は、高麗王朝の下級官僚である奇子敖(キ・ジャオ)の娘だった。奇子敖としては立場上しかたなく、娘を貢女として差し出したものと思われる。
ただし、奇皇后の本名や出生に関する記録は残されていない。
格別な美女であったことは間違いなく、元の官僚が奇皇后のことを「杏花のように白い顔、桃のような紅い頬、柳のような腰」と表現している。
奇皇后が元に行ったのは1333年のことだ。
最初は悲嘆に暮れていた彼女もいつのまにか元の皇室に入り込んで確固たる地位を築いた。賢い頭脳とたぐいまれな美貌がそれを可能にしたのである。
文=「韓国時代劇アンニョン」編集部