〔特集〕文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行

 

朝鮮王朝時代に王宮で起こった奇怪な事件として有名な「灼鼠(しゃくそ)の変」。この事件は韓国時代劇でも何度か取り上げられたが、どの作品でも文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が共謀して起こしたという筋書きになっていた。

世子の誕生日の出来事

「灼鼠(しゃくそ)の変」は1527年に起こっている。
当時は11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代だったが、世子(セジャ/王の正式な後継者)は12歳になっていた。




世子の実母はすでに他界していて、中宗の三番目の正室だった文定王后が世子の継母におさまっていた。
こういう人間関係を理解したうえで、事件のあらましを見てみよう。
世子が誕生日を迎えたとき、東宮(王宮の一部で世子が住んでいる)の庭にあった大木の枝に、焼かれたネズミの死骸が掛かっていた。(ページ2に続く)

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