朝鮮王朝で「性格がきつすぎる王族女性」と称された5人は誰か

 

朝鮮王朝には国王ですら恐れた「性格がきつすぎる王族女性」が何人もいたが、その中で特に5人を選んでみよう。彼女たちは韓国時代劇にも登場して王族男性をよく震え上がらせている。




最初の3人

まずは神懿(シンイ)王后だ。
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の最初の妻である。高麗王朝の武将として出世街道を突き進む李成桂も、妻にはまったく頭が上がらなかった。
夫婦の間には六男二女がいたが、息子は上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)だった。
このうち、芳果と芳遠が王になっている。神懿王后自身は朝鮮王朝が創設される1年前の1391年に亡くなっているが、初代王の「糟糠の妻」だけに、最初の王妃として列せられている。
2人目は貞熹(チョンヒ)王后だ。
7代王・世祖(セジョ)の正妻である。夫が政変を起こそうとしたとき、その行動に躊躇があることを見のがさず、迷う夫に鎧を着せて気合で送り出したという逸話が残る。政変は成功し、夫は王となったが、内助の功が本当に大きかった。時代劇『王女の男』でも最後まで重要な役に設定されていた。




次は、廃妃・尹(ユン)氏だ。
9代王・成宗(ソンジョン)の正室だった女性だ。
成宗の側室に嫉妬して呪詛(じゅそ)をたくらみ、さらに成宗の顔を激しくひっかいてしまった。朝鮮王朝の518年の歴史の中で、国王の顔に傷を付けたのは尹氏だけだ。
結局、1479年に廃妃となる。その果てに、1482年に死罪となった。「私の恨みを晴らして!」と言い残したと伝えられており、息子の燕山君(ヨンサングン)はその事実を知ってから、母の死罪に関係した官僚や女性を大虐殺した。
(ページ2に続く)

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