首陽大君(スヤンデグン)は強い野心で世祖(セジョ)になった!

相反する2つの顔

死六臣事件は、ハングルの創製にも関わった逸材の成三問(ソン・サムムン)が主導して世祖の暗殺を狙ったものだが、事前に発覚して数多くの関係者が処刑された。
不発に終わったこの事件は端宗にまで影響を及ばした。事件の元凶になったとされて、端宗は高い身分を剥奪されて“魯山君(ノサングン)”に降格となった。さらに、彼は僻地に流されたあと、死罪となってしまった。
かくのごとく非道な世祖だが、実は王としての業績を挙げれば、注目すべきことが多かった。




第一に挙げられるのは、国防力と北方開拓に力を入れ、国土の均衡した発展に貢献したことだ。また、土地政策を改革して国家収入を増やし、農業を奨励した。その一例として、王宮でも蚕の部屋が設置され、王妃たちも自ら養蚕を行なった。これが庶民に対する模範になったのである。
多くの書籍を刊行したのも世祖の業績だ。首陽大君の時代から兵書や仏教書の編纂に携わっていたし、即位後にも重要な教養書や実用書を自ら執筆している。また、後に朝鮮王朝の憲法になる「経国大典」の編纂を開始したのも、世祖の特記すべき業績である。

非道ながら王として有能だった世祖。相反する2つの顔を持った王であった。

記事提供:「歴史カン・ヒボン」http://kanhibon.com/

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