彼が王になっていれば
孝明世子は、わずか10代にして派閥闘争に自ら指導的な役割を果たさなければならなかった。
非常に難しい舵取りを任されていたのだ。それでも孝明世子は若くして卓越した政治力を発揮した。
「このままいけば、どれほどすばらしい王になるだろうか」
多くの人がとても期待したのだが、孝明世子は1830年にわずか21歳で早世してしまった。
急な喀血(かっけつ)をした後であっけなく亡くなったので、「安東・金氏の一族に毒殺されたのではないか」という噂も出たが、真偽のほどは定かではない。
はっきりと言えるのは、孝明世子が王にならなかったことによって安東・金氏の一族が再び勢力を拡大し、その後の朝鮮王朝が腐敗政治に染まってしまったことだ。
孝明世子が王になっていればそんなことは絶対になかった。そういう面でも、孝明世子の早世は惜しんでも惜しみ切れないのだ。
運命というのは残酷なものだ。孝明世子の寿命が21歳で終わったのは、朝鮮王朝にとってあまりにも痛手だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化・社会や、日韓交流の歴史を描いた著作が多い。主な著書は『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』など。
イ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)はなぜ早死にしたのか