イ・ヨン(孝明世子)の惜しまれる世子人生!

『雲が描いた月明り』についても紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

彼の前に立ちはだかった勢力は?

孝明世子は学識があって、思慮も深かった。
そういう頭脳明晰さを買われて、18歳のころから父の純祖に代わって代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)を行ない、人事の活性化や宮中行事の改善などで、大きな成果をあげている。




普通、代理聴政というのは難しいことである。なぜならば、そこで世子としての才能を疑われれば、次の王としての立場が約束されなくなるからだ。しかも、代理聴政となると、官僚たちの抵抗も大きい。そういう意味で、窮地に追い込まれるとも限らないのだ。
孝明世子が代理聴政をしたとき、対抗勢力として前に立ちはだかったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族であった。
この一族は、孝明世子の母である純元(スヌォン)王后の実家である。純祖の外戚になったことで政治の中枢を牛耳って、一族で人事面を悪用した。そういう意味では、朝鮮王朝の政治が腐敗する原因になったのが安東・金氏の一族である。
一方、孝明世子の妻の実家は豊壌(プンヤン)・趙(チョ)氏である。孝明世子は豊壌・趙氏の一族をうまく生かして安東・金氏に対抗する必要があった。
(ページ3に続く)

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