『テバク』はいつの時代を描いているのか

テギルの設定は?

『テバク』で淑嬪・崔氏をいじめた張禧嬪は粛宗の怒りを買ってしまい、1694年に王妃から再び側室に降格してしまった。その後の張禧嬪のことが『テバク』では描かれていないが、彼女は、王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后を呪い殺す儀式をしたことをとがめられて、1701年に死罪となっている。
その19年後の1720年に粛宗が世を去った。その後継者争いは派閥を巻き込んで混迷した。




1688年に張禧嬪が産んだ景宗(キョンジョン)と、1694年に淑嬪・崔氏が産んだヨニングン(後の英祖)が争ったが、張禧嬪が罪人として死罪になった後も、景宗が世子(セジャ/王の正式な後継者)であることは変わらなかった。しかし、ヨニングンは王になることをあきらめなかった(結局は景宗のあとに王になっている)。
実は、淑嬪・崔氏はヨニングンを産む前年の1693年に粛宗の息子を産んでいる。名前は永寿君(ヨンスグン)と言う。しかし、2カ月あまりで早世してしまった。この永寿君が死んだのではなく捨てられたのだ、と設定にして物語を作ったのが『テバク』である。捨てられた永寿君が淑嬪・崔氏のかつての夫に育てられてテギルになるというのが、『テバク』の重要な設定になっていた。(ページ3に続く)

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