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仁祖の屈辱を象徴する三田渡の碑!
1636年12月、清の10万人を越える大軍に攻められた朝鮮王朝は、ついに降伏し、翌年の1月に16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪を強いられた。それを象徴する碑を訪ねた。 [caption i…詳細を見る -
仁祖(インジョ)!弟の復讐を果たして即位
朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)は1567年に15歳で即位した。1592年には豊臣軍による朝鮮出兵があり、朝鮮王朝は存亡の危機を迎えたが、戦乱は1598年に終結して宣祖は復興に力を入れた。 …詳細を見る -
仁祖の息子の孝宗(ヒョジョン)と孫の顕宗(ヒョンジョン)はどんな王だった?
1649年に即位した17代王の孝宗(ヒョジョン)は、仁祖(インジョ)の二男である。彼は兄の昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)と一緒に長く清の人質になっていた。1645年、兄は先に帰国した。この時点で王の後…詳細を見る -
仁祖(インジョ)は貞明公主(チョンミョンコンジュ)に特別待遇を与えた!
1623年、光海君(クァンヘグン)が廃位となり、16代王・仁祖(インジョ)が即位した。当時、光海君の継母であった仁穆(インモク)王后と娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)は離宮に幽閉されていたが、新し…詳細を見る -
即位してから評判が最悪だった仁祖(インジョ)!
1623年にクーデターを成功させて15代王・光海君(クァンヘグン)を廃位させた綾陽君(ヌンヤングン)。彼はすぐに16代王・仁祖(インジョ)として即位した。しかし、彼の在位中は苦労の連続だった。 …詳細を見る -
仁祖(インジョ)が昭顕世子(ソヒョンセジャ)の一家を滅ぼした理由とは?
世子(セジャ)といえば、朝鮮王朝の皇太子である。次の王が約束された身分なのだ。それなのに、その世子の中で外国の人質になった人がいる。それが、16代王・仁祖(インジョ)の長男だった昭顕世子(ソヒョンセジ…詳細を見る -
愚かな仁祖(インジョ)の反省!
仁祖(インジョ)とは誰か。 生没年は1595年~1649年。朝鮮王朝の16代王。在位は1623年~1649年。光海君(クァンヘグン)を1623年に追放して即位したが、失政が続いて苦しい統治を強いられ…詳細を見る -
仁祖(インジョ)が昭顕(ソヒョン)世子の命を奪ったのか?
清での8年間に及ぶ人質生活を終えて、1645年2月に母国に帰ってきた昭顕(ソヒョン)世子。しかし、わずか2カ月で亡くなってしまった。あまりに不可解な急死。毒殺を疑われるのも当然だった。 …詳細を見る -
仁祖(インジョ)の屈辱!
光海君を追放して、16代王・仁祖(インジョ)となった綾陽君(ヌンヤングン)。彼は王として大きな屈辱を受けることになってしまう。いったいなにがあったのだろうか。 王としての苦労…詳細を見る -
16代王・仁祖(インジョ)/朝鮮王朝国王列伝16
生没年/1595年~1649年 在位/1623年~1649年 1623年、15代王・光海君(クァンヘグン)の甥がクーデターを成功させて16代王・仁祖(インジョ)として即位した。仁祖はまず、光海…詳細を見る