廃妃(ペビ)・尹(ユン)氏は、9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正室となった斉献(チェホン)王后のことである。しかし、彼女は王である成宗に無礼を働いて王宮を追放されてしまう。一体何をしたのだろうか。
嫉妬深い性格
もともと側室だった尹氏。彼女が9代王・成宗の正室となったのは、最初の正室だった恭恵(コンヘ)王后が1474年に18歳という若さで世を去ってしまったからだ。
王妃となった尹氏は、1476年に後継者となる息子を産んだ。その息子が後に10代王となる燕山君(ヨンサングン)である。
世子(セジャ/王の後継者)を産んだ尹氏は、本性である嫉妬深さをあらわにして成宗に近づく女性に嫌がらせをするようになった。
それがきっかけとなり、成宗は側室の厳(オム)氏と鄭(チョン)氏のもとへ通うようになり、尹氏のもとを訪れなくなった。
その状況に耐えられなかった尹氏は、2人の側室を陥れようとするが失敗してしまう。最終的に、彼女は毒殺によく使われる砒素(ひそ)と呪詛(じゅそ)の本を持ち込んで呪いの儀式を行なおうとした。
当時、呪詛を行なうことは大罪だった。
成宗は尹氏を王妃から降格させようとするが、側近の高官たちは前例がないことを理由に反対する。結果的に、尹氏の罪は不問となった。
しばらく時間が経ち、尹氏のことが気になった成宗は、久しぶりに彼女のもとを訪れた。
尹氏にとって成宗との仲を戻すチャンスだったが、精神を病んでいた彼女は王の顔を引っ掻いてしまう。
そのことに激怒した仁粋(インス)大妃(成宗の母親)によって王宮を追い出された尹氏は、1479年に廃妃となった。
実家に戻った尹氏は、自分の罪を反省して質素な暮らしをしていた。そんな彼女が王宮に戻れる可能性が出てきた。
1482年になると、尹氏を哀れむ声が起こりはじめた。さらに、成宗も「反省しているのであれば王宮に戻そう」と考えていた。
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