1623年に仁祖(インジョ)はクーデターを起こして光海君(クァンヘグン)を追放して自分が即位した。それによって、幽閉されていた仁穆王后(インモクワンフ)と貞明公主(チョンミョンコンジュ)も解放された。
手のひらを返した仁祖
王になった当初は、仁祖も貞明公主を優遇した。
広い土地を与えたし、結婚も支援した。
そんな仁祖が態度を急に変えたのは、貞明公主の母の仁穆王后が亡くなってからだ。
実は、仁祖はクーデターに大義名分を与えてくれた仁穆王后に恩義があり、それで娘の貞明公主に特別な待遇を与えていたのだ。
しかし、仁穆王后が1632年に世を去ると、仁祖は「すでに恩義を十分に返した」とばかりに、貞明公主を冷遇するようになった。
その契機になったことは、仁祖が高熱と下痢・腹痛に悩まされてからだった。
病に苦しんだ仁祖は「誰かが呪詛(じゅそ)をしている」と疑うようになった。つまり、呪いをかけられているというわけだ。
やがて、仁祖は呪詛を仕掛けているのが貞明公主だと見なした。「貞明公主が仁祖の統治能力に懐疑的」という噂が広まっていたからだ。
そんなときに、仁祖の寝殿のそばから呪いの物(人骨や小動物の遺骸など)が見つかった。恐怖におののいた仁祖は、見境もなく貞明公主を処罰しようとした。
しかし、大反対した高官がいた。それが、張維(チャン・ユ)だった。
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『華政』の貞明公主(チョンミョンコンジュ)はなぜ大地主になれたのか