生没年/1619年~1659年
在位/1649年~1659年
1637年、清に敗北したことによって人質として連行された16代王・仁祖(インジョ)の息子は3人だった。上から昭顕(ソヒョン)、鳳林(ポンリム)、麟坪(インピョン)。7歳だった麟坪は、翌年に解放されたが、昭顕と鳳林は8年間、清に監禁されていた。
清を強くうらんだ孝宗
1645年、昭顕と鳳林はようやく朝鮮王朝への帰国が許された。2人は久しぶりに父の仁祖と再会を果たしたが、昭顕は異国思想にかぶれているという理由で父に嫌われた。その直後に昭顕は原因不明の病に倒れ、命を落としてしまう。後世では、昭顕は仁祖に毒殺されたという見方が強い。
王位の継承者だった昭顕が死に、後継ぎは鳳林になった。1649年、仁祖が亡くなり、鳳林が17代王・孝宗(ヒョジョン)として即位した。
孝宗は王になるとすぐに、親清派の人間を宮中から追い出した。そして、清を倒すために軍事力を強化していく。これによって、朝鮮王朝の国防力は格段に上がるのだが、強大な清に攻め込む機会は訪れなかった。
また、軍備を整えるために庶民から重い税を徴収したため、彼の治世では庶民の暮らしが厳しいものになった。
1659年、孝宗は清と戦うことなく40歳で死去した。本懐は遂げられなかったが、彼が強化した軍事力は後の朝鮮王朝の安定につながった。
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