英祖の後悔
荘献には、祘(サン/後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)という10歳の息子がいた。その息子は、王である英祖に父親を助けてほしいと何度も懇願したが、その願いは聞き入れられなかった。
結局、荘献が閉じ込められてから8日目に米びつが開けられたが、荘献は中で餓死していた。しかし、実際に彼がいつ亡くなったのは定かではない。
息子である荘献が亡くなったという知らせを受けた英祖は、自分の息子を手に掛けたことを非常に後悔した。
その後、英祖は息子の荘献に「思悼世子(サドセジャ)」という尊号を贈っている。この尊号には「世子の死を追悼する」という意味がある。
しかし、そのような後悔をするのであれば、英祖はなぜ生きているうちに息子を米びつから出してあげなかったのだろうか。
文=康 大地(コウ ダイチ)
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!