光海君が即位
宣祖が亡くなったとき、貞明公主は5歳で、永昌大君は2歳だった。
2歳といえば、まだ言葉も満足に話せない。この幼さで王になることは難しいと、仁穆王后も認めざるをえなかった。彼女は王位継承問題で主導権を握れる立場にあったのだが、自分のお腹を痛めて産んだ永昌大君を次の王にごり押しすることはできなかった。
せめて、宣祖があと3年生きていれば……。
5歳であれば、王に即位できる可能性があったのだが、やはり2歳では、とうてい無理だった。
「貞明が男であったならば……」
仁穆王后もそう思いながら、ため息をつかざるをえなかった。
結局、光海君が宣祖の後を継いで15代王として即位した。仁穆王后は「王の母」を意味する大妃(テビ)となった。
大妃といえば、王族の最長老である。朝鮮王朝は儒教を国教にしており、「長幼の序」を厳格に守る倫理観が強かった。
「よもや光海君が私を邪険にするはずがない」
仁穆王后はそう楽観していたのだが、それはあまりに甘かった。以後、仁穆王后と貞明公主と永昌大君は、過酷な運命にさらされていく。
(第2回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)