温達(オンダル)と平岡姫(ピョンガンヒ)!高句麗で一番有名な夫婦

英雄の戦死

590年、平岡王が亡くなり、嬰陽王(ヨンヤンワン)が後を継ぎました。温達は新しい王に言いました。
「新羅(シルラ)に土地を奪われて民衆が泣いています。私におまかせくだされば、すぐに行って取り戻してきます」
嬰陽王の許可が出ました。
温達は精鋭を引き連れて新羅軍を攻めました。
「奪われた土地を取り戻せなければ、絶対に帰らない」




悲壮な覚悟で臨んだ戦いでしたが、温達は戦死してしまいます。部下が彼を弔おうとしましたが、棺がピクリとも動かなくなりました。そのとき、平岡姫がやってきて棺に話しかけました。
「生死がすでに決まりました。憂いを残さず天国へ行きましょう」
この呼びかけによって、あれほど重かった棺がようやく動きました。そして、国中の人たちが英雄の死を悼みました。
以上が「温達と平岡姫」の物語です。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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