談徳(タムドク)が成長して偉大な広開土大王(クァンゲトデワン)になった!

騎馬軍団と製鉄技術

王であるにもかかわらず、宮殿で安楽に過ごす暇(いとま)もなく、広開土大王は毎日を馬上で過ごした。
相手の虚を突く戦略性に優れ、城を攻め落とす達人でもあった。
ただし、しゃにむに攻めるだけでなく、攻撃相手を孤立させるために周辺国と同盟を結ぶという外交戦術も多用した。




勇敢なだけでなく頭脳も明晰だった。
結局、広開土大王は、北は中国東北部、西は遼東半島、南は朝鮮半島中央部まで領土を広げ、5世紀前半に東アジアの一大帝国をつくりあげた。
それを可能にした要因は、強力な騎馬軍団と優れた製鉄技術だった。もはや周辺地域で高句麗に対抗できる勢力はなかった。
それでも、広開土大王は無骨な男ではなかった。
(ページ3に続く)

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