危険な王
1608年、予定どおり光海君が王になります。この光海君の一派は、批判的だということで兄の臨海君を殺害。異母弟の永昌大君も警戒し、幽閉後に残虐な方法で殺してしまいます。
けれど、政治的な改革を急すぎたことで、既得権を持っている人たちから光海君は危険な王とみなされました。また、兄弟たちを殺したことでかなり恨まれていましたし、仁穆王后を処罰したことで反感を買っていました。
1623年、クーデターが起きます。リーダーになったのは綾陽君(ヌンヤングン)という28歳の王族で、宣祖の孫にあたります。自分の弟が光海君の側近によって殺された怨みもあり、同じく光海君に怨みを持つ同志を集めて決起しました。
ただし、怨みだけでクーデターを起こすと、大義名分がたちません。そこで、綾陽君がかついだのが、幽閉されていた仁穆王后です。
クーデターを起こした綾陽君の仲間が仁穆王后に挨拶に行ったときのことが「朝鮮王朝実録」に詳しく出ています。それによると、仁穆王后は声を荒らげて次のように言ったそうです。
「幽閉されて10数年、今まで誰一人見舞いに来なかったのに、なぜ今頃になって来るのか」
(ページ3に続く)
光海君(クァンヘグン)の妻だった廃妃・柳氏(ユシ)/朝鮮王朝廃妃(ペビ)列伝2