アーカイブ:2018年 11月
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王朝の基盤を作った太宗(テジョン)/朝鮮王朝歴史全集2
1398年に2代王の定宗(チョンジョン)が即位しました。しかし、後ろで糸を引いていたのは、弟の芳遠(バンウォン)です。彼は間違いなく、誕生したばかりの朝鮮王朝の最大の実力者でした。 [capti…詳細を見る -
李成桂(イ・ソンゲ)が太祖(テジョ)として即位!/朝鮮王朝歴史全集1
朝鮮王朝は1392年に建国されました。初代王・太祖(テジョ)となったのが李成桂(イ・ソンゲ)です。彼は、高麗王朝の武将でしたが、最高実力者となって高麗王を追放して自ら新しい王朝を開きました。 […詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の妻と息子夫婦は悲惨な最期を遂げた!
1623年にクーデターで王宮を追われた光海君(クァンヘグン)。廃位になってしまった彼は、妻や息子夫婦と一緒に江華島(カンファド)に流罪となった。その後、妻と息子夫婦はどうなったのだろうか。 [c…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の妻だった廃妃・柳氏(ユシ)/朝鮮王朝廃妃(ペビ)列伝2
14代王の宣祖(ソンジョ)は、正妻の懿仁(ウィイン)王后が1600年に亡くなると、2年後には50歳ながら18歳の仁穆(インモク)王后を次の王妃に迎えた。そのとき、宣祖の二男の光海君(クァンヘグン)に嫁…詳細を見る -
中宗(チョンジョン)が嫌々ながら即位した日!
中宗(チョンジョン)は9代王・成宗(ソンジョン)の息子で王子時代は晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれた。異母兄は燕山君(ヨンサングン)。暴君と称された兄から執拗にいじめられた。 …詳細を見る -
庶民から怨まれた14代王・宣祖(ソンジョ)はどんな人生を歩んだのか
1552年に11代王・中宗(チュンジョン)の孫として生まれた宣祖(ソンジョ)。しかし、彼は側室から生まれた息子なので本来なら王になれるはずがなかった。なぜ彼は王として即位することができたのだろうか。 …詳細を見る