朝鮮王朝の歴史で注目したいのは、歴代王の即位に至る経緯である。なぜそこにこだわるかといえば、王権の安定に決定的に影響していたからだ。もっとわかりやすくいえば、「正室から生まれたのか、側室から生まれたのか」「長男なのか、二男以下なのか」「生母が生きているのかどうか」「信頼できる側近がいたのか」といった要素で、王の立場というものが大きく違うのである。
朝鮮王朝の「血の抗争」
王は祭り上げられているうちは強いが、引きずりおろされるときは弱いものだ。そういう人間くさい部分も、時代劇ではよく描かれている。
実際、誰もが納得する「王の長男」が次の王として即位している例が意外と少ない。本来は朝鮮王朝の王家には「王の後継者は正室が産んだ嫡男を第一候補にする」という原則があったのだが、その通りになった王は決して多くなかった。
何よりも、朝鮮王朝の王は絶大な権限をもつ唯一無二の存在だけに、そこに群がる親族や家臣が欲望をむきだしにして争い、王の後継者をめぐって血が流れたことが何度もあった。後継者選びも一筋縄にはいかないのだ。
確かに、朝鮮王朝は「血の抗争」によって始まっている。1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝を建国して初代・太祖(テジョ)になったが、その後継者の座をめぐって彼の第一夫人の息子たちと第二夫人の息子たちが争い、1398年に第二夫人の息子二人は殺害されて第一夫人の息子たちが勝利した。そして、2代王・定宗(チョンジョン)と3代王・太宗(テジョン)になったのである。(ページ2に続く)
世宗(セジョン)の願いをふみにじった世祖(セジョ)の王位強奪!
解説!燕山君(ヨンサングン)の廃位と中宗(チュンジョン)の即位