母親に苦しめられた明宗
仁宗の後を継いで、1545年に13代王となったのが明宗である。彼は、とても聡明で心優しい少年だったが、まだ11歳なので1人で政治を行なうことはできなかった。そのため、母親の文定王后が王族の最長老女性として代理聴政(テリチョンジョン)を行ない、要職を身内で固めてしまった。
このとき民衆は作物が育たず飢餓に苦しんでいたが、文定王后は何の対策も取らなかった。そのために、多くの人たちが餓死してしまった。
民衆を見殺しにした文定王后。悪政を行なった末に1565年に世を去った。
その後、苦しんでいた人々のために新たな政治を開始した明宗。要職を独占していた一派を追い出して、新しい人材を次々に起用していった。
このように政治に意欲的だった明宗なのだが、惜しくも33歳という若さで亡くなってしまった。文定王后が悪政を行なっていたときに苦しめられたストレスの影響が大きいと思われる。
母親の権力が強くて、ほとんど何もできなかった明宗。もし、彼が王としてしっかり政務を行なえていたら、朝鮮王朝の歴史も変わっていただろう。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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