多くの火種
李成桂は当初、芳蕃を後継者にしたいと考えていた。それは、神徳王后の強い希望があったからだが、側近から「性格が乱暴で王にふさわしくない」と反対され、李成桂は後継ぎを芳碩に変えている。
いずれにしても李成桂は、寵愛していた神徳王后との間にできた息子を後継ぎにすることにこだわった。
この決定は多くの火種を残した。とりわけ、朝鮮王朝の開国に功績があった芳遠を無視したことが問題となった。
芳遠は作戦参謀として李成桂の対抗勢力を容赦なく粛清したし、高麗王朝の王を廃位に追い込むための裏工作でも成果をあげている。
彼ほど父のために尽力した息子はいなかった。
当然ながら、「父の次は自分」と芳遠は考えていたのに、こともあろうに異母弟で10歳の芳碩が後継ぎに指名されてしまった。
芳遠が黙っているはずがない。神徳王后が1396年に亡くなると、政権奪還の動きを露骨に見せるようになった。
彼はまず、芳碩の後ろ楯となっていた鄭道伝(チョン・ドジョン/李成桂が最も信頼を寄せた側近)を1398年に殺した。(ページ3に続く)
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