イ・ヨンという本名であった孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、朝鮮王朝の23代王・純祖(スンジョ)の長男である。1809年に生まれ、将来を嘱望(しょくぼう)される優秀な世子だった。しかし、彼の人生は思わぬ形で終わることになってしまった。
2人の世子
朝鮮王朝の数多い世子の中で、「この人がもっと長生きして王になってくれれば」と切に思う人が2人いる。
1人は、昭顕(ソヒョン)世子である。彼は16代王・仁祖(インジョ)の長男として生まれ、聡明な青年として期待が大きかったのだが、清の人質から帰った直後に急死している。
この件は、清に最大の屈辱を負わされた仁祖が復讐に燃えていたのにもかかわらず、昭顕世子が清を称賛したことが理由で、仁祖に毒殺されたのではないかと疑われている。
もし、昭顕世子が長生きして王になっていれば、旧態依然とした朝鮮王朝は清や西洋の先進の文明を取り入れて、新しい国家として改革できていたかもしれない。それだけに、昭顕世子の急死は惜しまれる。
もう1人、その短すぎる人生が惜しまれるのが孝明世子である。
彼はとても頭のいい男子で、祖父である22代王・正祖(チョンジョ)によく似ていたと言われる。
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イ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)はなぜ早死にしたのか