タグ:歴史
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不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の急死/朝鮮王朝歴史全集11
1637年1月、侵攻してきた清に屈伏した16代王・仁祖(インジョ)は、清の皇帝の前で屈辱的な謝罪を行ないました。その代償は大きく、仁祖の3人の息子たちは人質として清に連行されました。長男の昭顕(ソヒョ…詳細を見る -
外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?
光海君(クァンヘグン)は1623年にクーデターで廃位となりましたので、暴君というイメージが付いてまわりました。しかし、歴史研究が進む中で、暴君どころか逆に政治的な業績が多い王であったという評価が出てい…詳細を見る -
中宗(チョンジョン)が嫌々ながら即位した日!(再読版)
中宗(チョンジョン)は9代王・成宗(ソンジョン)の息子で王子時代は晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれた。異母兄は燕山君(ヨンサングン)。暴君と称された兄から執拗にいじめられた。 …詳細を見る -
罵声を浴びた仁祖(インジョ)/朝鮮王朝歴史全集10
1623年、光海君(クァンヘグン)に対して怨みを持っていた綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを起こし、油断していた光海君は廃位となって王宮を追われ、江華島(カンファド)に流罪となりました。 …詳細を見る -
政変の原因!首陽大君(スヤンデグン)と安平大君(アンピョンデグン)の対立
ハングルを創製した朝鮮王朝最高の名君・世宗(セジョン)には息子が多かった。正室から生まれた息子が8人、側室から生まれた息子が10人。なんと18人もの息子がいたのだ。その中に、首陽大君(スヤンデグン)と…詳細を見る -
談徳(タムドク)が成長して偉大な広開土大王(クァンゲトデワン)になった!
韓国において広開土大王(クァンゲトデワン)は、多くの人が尊敬する古代の英雄だ。それは、彼が朝鮮半島の歴史上で最大規模の領土を確保したからである。狭い今の韓国からすれば、それは夢のような広さだった。 …詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の妻と息子夫婦は悲惨な最期を遂げた!(再読版)
1623年にクーデターで王宮を追われた光海君(クァンヘグン)。廃位になってしまった彼は、妻や息子夫婦と一緒に江華島(カンファド)に流罪となった。その後、妻と息子夫婦はどうなったのだろうか。 …詳細を見る -
奇皇后はどのようにして絶大な権力を得たのか(再読版)
奇皇后は1333年、貢女(コンニョ/高麗王朝が差し出した女性のこと)として、中国大陸を支配する元に渡って皇帝のトゴン・テムルの側室となった。しかし、正室が世を去って皇后の座が空いても、新たな正室になれ…詳細を見る -
古代を記した歴史書「三国史記」「三国遺事」とは何か
日本の歴史書といえば、最古のものは「古事記」で712年に完成している。神話や伝説が多いのが特徴だ。もう一つ、720年に完成したのが「日本書紀」。神代から持統天皇11年(697年)までの出来事を編年体で…詳細を見る -
燕山君(ヨンサングン)はどれほど最悪な国王だったのか
1494年に9代王の成宗(ソンジョン)が世を去った。次の王に就いたのは、成宗の長男の燕山君(ヨンサングン)だった。18歳で即位した彼は最初から暴君ではなかったが、王政を続けるうちに徐々に堕落していき、…詳細を見る