タグ:歴史
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文定(ムンジョン)王后は人生の中でどんな悪事を働いたか(再読版)
文定(ムンジョン)王后は、息子を王にするという野望を叶えるために様々な悪事を働いた悪女である。13代王・明宗(ミョンジョン)の母親である彼女は、存命中にいったい何をしたのだろうか。 …詳細を見る -
朱蒙(チュモン)はどんな人物だったのか
朱蒙(チュモン/紀元前58年~紀元前19年)は現在の韓国でも大変な尊敬を集めているが、その人物像は神秘に包まれている。なにしろ、高句麗(コグリョ)の建国神話で朱蒙は、柳花(ユファ)という女性が産んだ卵…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)が端敬(タンギョン)王后を離縁した理由は?
端敬(タンギョン)王后は11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正室だった女性である。二人の夫婦仲はとても良かった。それなのに、中宗が即位してすぐに二人は別れなければならなかった。というより、中宗は端敬…詳細を見る -
安平大君(アンピョンデグン)と対立した首陽大君(スヤンデグン)は何をしたか?
1452年5月、5代王の文宗(ムンジョン)は自分の死期に気づき始めたが、まだ11歳の長男の行く末がとても心配だった。そこで、金宗瑞(キム・ジョンソ)や皇甫仁(ファンボ・イン)という重臣たちを呼びだし、…詳細を見る -
明宗(ミョンジョン)は母の文定(ムンジョン)王后の悪政に苦しめられた(再読版)
1545年、12代王・仁宗(インジョン)が亡くなり、異母弟の明宗(ミョンジョン)が即位した。彼の母は、中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。彼女が行なった悪政は息子の明…詳細を見る -
518年間続いた王朝の終焉/朝鮮王朝歴史全集18
26代王の高宗(コジョン)が即位したときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。 …詳細を見る -
惜しまれる孝明(ヒョミョン)世子の早世/朝鮮王朝歴史全集17
女帝のように王朝を支配した貞純(チョンスン)王后が1805年に世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。さらに、政治が混乱していきました。 [capt…詳細を見る -
温達(オンダル)と平岡姫(ピョンガンヒ)!高句麗で一番有名な夫婦
夫を大出世させたということで日本では「山内一豊の妻」がよく知られていますが、韓国にも教科書に載るほど有名な話が古代の三国時代にあります。それが、温達(オンダル)と平岡姫(ピョンガンヒ)の夫婦物語です。…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の改革をつぶした貞純(チョンスン)王后/朝鮮王朝歴史全集16
正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能があ…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪(再読版)
光海君(クァンヘグン)は、時代によって評価がわかれる国王である。クーデターで王位を追われているので、暴君としての悪評が高かった時期もあれば、実は暴君どころか名君であったという評価が出ている時期もある。…詳細を見る