タグ:朝鮮王朝
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518年間続いた王朝の終焉/朝鮮王朝歴史全集18
26代王の高宗(コジョン)が即位したときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。 …詳細を見る -
惜しまれる孝明(ヒョミョン)世子の早世/朝鮮王朝歴史全集17
女帝のように王朝を支配した貞純(チョンスン)王后が1805年に世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。さらに、政治が混乱していきました。 [capt…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の改革をつぶした貞純(チョンスン)王后/朝鮮王朝歴史全集16
正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能があ…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪(再読版)
光海君(クァンヘグン)は、時代によって評価がわかれる国王である。クーデターで王位を追われているので、暴君としての悪評が高かった時期もあれば、実は暴君どころか名君であったという評価が出ている時期もある。…詳細を見る -
『不滅の恋人』のイ・ガンは首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)のこと!
NHKのBSで放送の『不滅の恋人』に登場するイ・ガンは首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)がモデルとなっている。史実では、4代王・世宗(セジョン)の長男が世子となり、二男の首陽大君(スヤンデグン)…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)は貞純(チョンスン)王后を処罰しなかった/朝鮮王朝歴史全集15
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公に…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲惨な親子関係/朝鮮王朝歴史全集14
1701年10月、粛宗(スクチョン)の命令によって、張禧嬪(チャン・ヒビン)は死罪と決まりました。死を覚悟した張禧嬪は「世子に会わせてください」と懇願しました。この世子とは、張禧嬪が1688年に産んだ…詳細を見る -
イ・ヨン(孝明世子)の惜しまれる世子人生!(再読版)
イ・ヨンという本名であった孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、朝鮮王朝の23代王・純祖(スンジョ)の長男である。1809年に生まれ、将来を嘱望(しょくぼう)される優秀な世子だった。しかし、彼の人生は思わぬ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝歴史全集13
1689年、粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を王宮から追放しました。「仁顕王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面」……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に惚れ抜いた粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝歴史全集12
19代王の粛宗(スクチョン)は孝宗(ヒョジョン)の孫にあたります。在位期間中は農業と商業を活性化させて庶民の生活水準を向上させたことが功績になっています。その一方で、自己中心的で女性問題で何度もトラブ…詳細を見る