1800年6月、正祖(チョンジョ)は危篤状態に陥った。貞純(チョンスン)王后はこう叫んだ。「私が直接薬を差し上げてみるから、臣下の者たちはしばらく下がっていなさい」。その命令を受けて、重臣たちは部屋の外に下がった。
憤慨した臣下
今まさに、部屋の中には正祖と貞純王后しかいなかった。
しばらくすると、部屋の中から慟哭(どうこく)する声が聞こえた。その瞬間、部屋の外で待機していた誰もが「正祖が亡くなった」と覚悟した。
憤慨(ふんがい)した李時秀がその場で叫んだ。
「臣下の者たちが仰いで信じられるのは王大妃殿下(貞純王后)と慈宮邸下(正祖の母の恵慶宮)だけです。東宮(正祖の息子)におかれましてはまだ幼いので、お守り申し上げなければいけませんが、頼れるのはやはりおふた方なのです。それなのにどうしてこのように感情のままに行動なさるのですか。国家の礼法はとても厳正ですから、すぐにお帰りくださいませ」(ページ2に続く)
朝鮮王朝実録を読む4/「正祖毒殺疑惑」
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
英祖(ヨンジョ)は思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めるとき何を語ったか