朝鮮王朝にこんな悲しい世子(セジャ)が5人もいたとは?

『雲が描いた月明り』の主人公

4人目は、あまりに有名な思悼(サド)世子だ。
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子である。
幼い頃から聡明で後継者としての期待が高かった。
しかし、精神的な重圧に耐えきれず、素行が乱れた。英祖の逆鱗(げきりん)に触れて自決を命じられた。
従わないでいると、米びつに閉じ込められて、8日目に餓死した状態で発見された。息子が名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)である。
最後は、孝明(ヒョミョン)世子である。
23代王・純祖(スンジョ)の長男だ。
1827年、18歳で父の政治を代行するようになった。人事面や法制面で優れた統治能力を見せ、名君になる素養を感じさせた。




しかし、急に喀血して倒れ、わずか21歳で早世。その死を誰もが惜しんだ。
パク・ボゴムが主演した大ヒット時代劇『雲が描いた月明り』の主人公イ・ヨンのモデルとなっている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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