2つの顔を持つ王
光宗は名君として揺るぎない評価を得た。彼が、混沌としていた高麗王朝を安定に導いたのは確かだ。
しかし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」という格言もある。
既得権を奪われた豪族たちが、時を同じくして反乱するようになった。
光宗は容赦しなかった。抵抗する豪族たちを次々に粛清した。
しかし、強権を発動し続けるにも限度があった。
いつしか、光宗を強く支えていた家臣の中でも、抵抗する者たちが現れた。
その中で、光宗の疑心暗鬼が深まり、彼は人間不信に陥った。
まさに、孤独な王の転落であった。
もはや、精神の均衡を保てなくなり、光宗は定宗の息子を手にかけ、自分の息子にも殺意を抱いた。結局、光宗が向かった道の先には、血があふれた政争が待っていた。
それは、本当に光宗がめざしたものなのか。
歴史は、2人の光宗を記録に残している。
政治を改革して高麗王朝を安定に導いた名君の光宗。
過剰な強権発動で反対する者たちを粛清した暴君の光宗。
どちらが本当の光宗だったのか。
高麗王朝が1392年まで続いたのは、まさに、光宗が王朝の基盤を作ったからなのだが……。
文=「韓国時代劇アンニョン」編集部
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