燕山君(ヨンサングン)と仁粋(インス)大妃!祖母と孫の不幸な関係

燕山君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

罪深き孫

成宗は、尹氏のことは今後一切話してはならないと周囲に厳命した。
このとき、成宗と尹氏の間に生まれた男子はわずか6歳だった。彼は母の死の真相を知らないまま育ち、1494年、成宗が世を去ったのちに18歳で王になった。彼こそが、朝鮮王朝で最悪の暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)である。
この王の悪行は語り尽くされている。王を頂点とする中央集権国家において、絶対に王座に上がってはいけない男だった。
しかし、燕山君を利用しようとする狡猾な人物もいる。実は、閑職に追われていた欲深い官僚が、出世を狙って燕山君に近づき、尹氏が死に至った経緯を暴露してしまった。




燕山君は逆上し、すぐに報復に出た。
母の死に関係した人たちを虐殺し、すでに世を去っている人の場合は墓をあばいて首をはねた。それは1504年のことであった。
そのとき、仁粋大妃は67歳でまだ健在だった。
孫の悪行を苦々しく思っていた彼女は、燕山君をいさめようとしたのだが、逆に暴力をふるわれて病床に臥す羽目となった。
結局、病状は回復せず、仁粋大妃は息を引き取った。つまり、彼女は孫によって命を縮められたも同然だったのだ。
罪深き孫であった燕山君は、その2年後にクーデターで王宮を追放されている。

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