中国大陸では、すでに元の国力が衰退していた。各地で農民たちの反乱も起き、元はまともに鎮圧する力も失っていた。このように元が弱くなると、高麗王朝での奇一族の立場もガラリと変わっていった。
わが子の皇位継承に執着
高麗王朝31代の恭愍王(コンミンワン)は様々に画策し、奇轍(キ・チョル)が反乱の汚名を着せられて処罰された。
奇轍の死を知った奇皇后は、兄のかたき討ちを誓って軍を高麗王朝に送った。しかし、すでに元の軍は弱体化しており、高麗王朝軍に大敗してしまった。
奇皇后はもっと現実を知るべきだった。
すでに往時の栄光を失っていたのである。
しかし、奇皇后は目先しか見ていなかった。彼女は皇帝のトゴン・テムルに対し、わが子のアユルシリダラに皇位を譲ることを強制した。
奇皇后には勝算があった。
自分を寵愛するトゴン・テムルが言うことを聞くと思い込んでいたのだ。しかし、トゴン・テムルは拒絶した。(ページ2に続く)