桃のような紅い頬
いくら元の要求とはいえ、素直に大切な娘を貢女として送り出す親は少なかった。それは、当然のことだ。
しかし、元の要求を無視することはできない。
「貢女を出す家には十分な報酬を出す」
高麗王朝はそういう告知を出したが、それでも元が要求する人数は集まらなかった。やむなく、政府は罪人や奴婢の妻や娘たちを強制的に集めた。
そんな中で貢女に選ばれてしまった女性の中には、自らの不幸を嘆きながら命を断つ者も少なくなかった。
そうした悲しい歴史の中で、異彩を放ったのが奇皇后だ。
彼女は高麗王朝の下級官僚だった奇子敖(キ・ジャオ)の娘だった。
とにかく、評判の美人だった。
それは、当時の元の官僚が「杏花のように白い顔、桃のような紅い頬、柳のような腰」という記録を残したことからもわかる。(ページ3に続く)