『テバク』!日本での放送のための歴史解説

死罪となった張禧嬪

王妃になることを狙った張禧嬪にとって、邪魔だったのが仁顕王后である。
張禧嬪は策をめぐらして仁顕王后を正室の座から追い落とすことに成功し、念願の王妃になった。
このあたりの事情は、キム・ヘスが主演したドラマ『張禧嬪』でも詳しく知ることができる。
ただし、彼女の栄華は長く続かなかった。
政治派閥の権力闘争の過程で、35歳だった1694年に張禧嬪は王妃の座から側室に降格してしまった。




その後、再び仁顕王后が正室の座に返り咲いた。
しかし、仁顕王后は1701年に34歳で亡くなった。それが同時に張禧嬪の破滅につながった。
というのは、張禧嬪が神堂を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしたことが発覚したのである。なんとも神がかり的な話なのだが、実際に仁顕王后が亡くなっているので、これは重大な反逆罪となり、粛宗は張禧嬪を死罪に処した。
こうして、宮女から王妃まで異例の出世をした希代の女性は、欲におぼれすぎたために42歳で生涯を閉じた。
ただ、張禧嬪の増長を許したのは粛宗本人であり、彼の女性遍歴が宮中の火種を生むことも多かった。(ページ4に続く)

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