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英祖(ヨンジョ)とイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の悲劇!
1762年に朝鮮王朝で最大の悲劇と言われる大事件が起きた。国王の正式な後継者である世子(セジャ)が米びつに閉じ込められて餓死したのだ。しかも、それを命じたのが父であった国王だ。この悲劇はどのようにして…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)は粛宗(スクチョン)の息子でないという驚きの説もあった!
トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は1718年に亡くなり、粛宗(スクチョン)も1720年に世を去った。そして、張禧嬪が産んだ王子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)に自決を命じた!
朝鮮王朝で起こった悲劇の筆頭は、英祖(ヨンジョ)が息子のイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)を餓死させた事件だ。素行が悪かったイ・ソンに英祖は腹を立てていたが、イ・ソンに謀反の疑いがあるという告発も出て…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)は本当に兄の景宗を毒殺したのか?
1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去り、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗(キョンジョン)が20代王として即位した。トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が産んだ英祖(ヨンジョ)はこの…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)は悲劇の親子!
21代王の英祖(ヨンジョ)は、27人の王の中で一番長生きした王として知られている。しかし、彼と息子の思悼世子(サドセジャ)の親子関係は険悪だった。いったい2人の間に何があったのだろうか。 …詳細を見る -
景宗(キョンジョン)と英祖(ヨンジョ)!兄弟愛で骨肉の争いを回避
1718年3月9日、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏(『トンイ』の主人公)が亡くなった。彼女が世を去ったとき、息子の英祖(ヨンジョ)は24歳だった。そして、異母兄の景宗(キョンジョン/張禧嬪〔チャン・ヒ…詳細を見る -
21代王・英祖(ヨンジョ)/朝鮮王朝国王列伝21
生没年/1694年~1776年 在位/1724年~1776年 英祖(ヨンジョ)は、19代王・粛宗(スクチョン)と側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏との間に生まれた。異母兄だった20代王・景宗…詳細を見る -
朝鮮王朝人物列伝特選4「英祖(ヨンジョ)」
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。 英祖…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)とイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の反省文騒動!
英祖は落胆した。彼の次に国王になることが決まっている世子のイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の評判が極端に悪かったからだ。もともと、思悼世子は幼い頃から聡明だった。学問に励み、詩作や書道で才能を発揮し…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲惨な親子関係/朝鮮王朝歴史全集14
1701年10月、粛宗(スクチョン)の命令によって、張禧嬪(チャン・ヒビン)は死罪と決まりました。死を覚悟した張禧嬪は「世子に会わせてください」と懇願しました。この世子とは、張禧嬪が1688年に産んだ…詳細を見る