カテゴリー:登場人物の実像
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イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!
正祖は今の韓国でも“朝鮮王朝後期の名君”として揺るぎない評価を得ている。確かに、彼が残した業績は多い。党争に明け暮れる政権を立て直し、停滞していた国政を一変させて様々な改革を成し遂げた。こうした業績が…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の人生!なぜ悪女と呼ばれるようになったのか
「朝鮮王朝三大悪女」の1人として有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)。彼女は、19代王・粛宗(スクチョン)の王妃として一度は頂点に君臨するが、再び側室に戻されて死罪となっている。果たして、張禧嬪はどのような…詳細を見る -
朝鮮王朝三大悪女の哀れな最期は何を物語るのか
朝鮮王朝の歴史の中で「三大悪女」と言えば、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)。彼女たちは、韓国時代劇にもよく登場するので、その名前はよく知られている。しか…詳細を見る -
『華政』の主人公の貞明公主(チョンミョンコンジュ)はその後をどう生きたか?
1636年12月、朝鮮王朝は強国の清に10万人以上の大軍で攻められた。朝鮮王朝は防戦するが、兵力があまりに違い過ぎた。仁祖(インジョ)は、都の漢陽(ハニャン)の南側にある南漢(ナマン)山城に避難したが…詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)の「やむにやまれぬ人生」!
光海君は1575年に14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として生まれた。彼は王として即位しながら、死ぬときは罪人として流刑地で命を終えた。この落差は、一体どこから生まれたのだろうか。 [captio…詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は「漢方薬の達人」だった!
朝鮮王朝後期の名君として名声を博した正祖(チョンジョ)。時代劇『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。彼は優秀な国王であっただけでなく、漢方薬についても医者ほどに詳しかった。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)とイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の反省文騒動!
英祖は落胆した。彼の次に国王になることが決まっている世子のイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の評判が極端に悪かったからだ。もともと、思悼世子は幼い頃から聡明だった。学問に励み、詩作や書道で才能を発揮し…詳細を見る -
イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)は夫婦仲が悪かった!
餓死したあとに思悼世子(サドセジャ)と呼ばれるようになったイ・ソン。彼の妻は、後に高官となった洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)だった。イ・ソンと恵慶宮はどんな夫婦であったのか…詳細を見る -
朝鮮王朝で在位が短かった国王は誰なのか
朝鮮王朝の518年間に国王は27人いた。この中で、在位が一番長かったのは英祖(ヨンジョ)だが、逆に在位が短かったのはどんな国王だろうか。王権が短命に終わった国王を見てみよう。 …詳細を見る -
文定(ムンジョン)王后が継母だったことが仁宗(インジョン)の悲劇!
朝鮮王朝は儒教を国教にしていたが、儒教の最高の徳目と言われたのが「仁」である。この漢字を諡(おくりな/死後の尊号)につけているのが12代王の仁宗(インジョン)だ。「彼ほど親孝行な王族はいない」と言われ…詳細を見る