1636年12月、清の10万人を越える大軍に攻められた朝鮮王朝は、ついに降伏し、翌年の1月に16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪を強いられた。それを象徴する碑を訪ねた。
屈辱的な石碑
清の皇帝の前に引っ張りだされた仁祖は、地面に額をこすりつけるような形で謝罪しなければならなかった。
そうしなければ、朝鮮王朝は清によって滅ぼされてしまうのだ。そのときの仁祖の屈辱は、いかばかりだっただろうか。
謝罪した場所は漢江(ハンガン)のほとりの三田渡(サムジョンド)である。
それだけでも屈辱なのに、清は朝鮮王朝に対して石碑を建てて歴史を形で残すことを要求した。
それを朝鮮王朝は拒むことができず、碑は1639年12月に建立された。
正式名称は「大清皇帝功徳碑」と言う。
碑の文章は、清に降伏した経緯や、清の皇帝を讃える内容となっている。
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