朝鮮王朝で本当の偉人と言えるのは誰なのか

ドラマの主人公になった2人

◆許浚(ホ・ジュン)
〔1546~1615年〕
14代王・宣祖(ソンジョ)の主治医を務めた。宣祖が亡くなったときに処罰されたが、時間に余裕ができたことで研究と執筆に没頭し、1610年に『東医宝鑑』を完成させた。この医学書は400年後の今でも東洋医学の医師が参考にするほどの名著。韓国は2009年にこの『東医宝鑑』をユネスコの世界記録遺産に登録している。




◆正祖(チョンジョ)
〔1752~1800年〕
22代王で、在位は1776~1800年。たぐいまれな知性と教養を持ち、奎章閣(キュジャンガク)という王室図書館を拠点に様々な政治改革を行なって成果をあげた。
まさに、朝鮮王朝の後期を代表する名君だった。また、米びつの中で餓死するという非業の死をとげた父(思悼〔サド〕世子)の名誉回復にも力を注いだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮王朝最高の名君だった世宗(セジョン)

庶民から怨まれた14代王・宣祖(ソンジョ)はどんな人生を歩んだのか

李舜臣(イ・スンシン)が操った亀甲船/朝鮮王朝歴史全集8

許浚(ホ・ジュン)はどんな人物だったのか

イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?




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