イ・サン(正祖)は即位直後に老論派(ノロンパ)を厳しく処罰した

正祖にとっての命取り

貞純王后の処罰は洪凰漢よりも難しかった。
彼女は正祖からすれば義理の祖母。民の模範である王が儒教の教えに逆らって、祖母を処罰すれば大変なことになる。
しかし、貞純王后が老論派を扇動していたのは明白であったので、なんとしても処罰したかった。
正祖がどう対処すべきか悩んでいると、宮中に「貞純王后が断食に入っている」という噂が流れた。
こうなると、彼女に対する同情論が巻き起こり、いかに王であろうとも、なかなか手を出せなかった。




このとき、貞純王后の責任を最後まで追及しなかったことが正祖にとって命取りになったかもしれない。
なぜなら、正祖は貞純王后に毒殺された疑いが濃厚だからだ。

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