即位してから評判が最悪だった仁祖(インジョ)!

三田渡の屈辱

3年後、朝鮮王朝は今度は北方の異民族の後金に攻められた。
このときも仁祖は、王宮から逃げて江華島(カンファド)に避難した。最後はなんとか和睦を結んで、朝鮮王朝は滅亡を免れた。
しかし、仁祖は後金を尊重するという和睦条件を守らず、相変わらず明のご機嫌ばかりとっていたので、後金は国号を清と変えた後の1636年12月に12万の大軍で侵攻してきた。
このとき、仁祖は漢陽の南側にある南漢(ナマン)山城にあわてて避難した。




南漢山城での籠城は40日あまりになり、ついに耐えきれなくなった仁祖は、漢江(ハンガン)のほとりの三田渡(サムジョンド)において、清の皇帝の前で、土下座のごとき屈辱的な謝罪をさせられた。
以上のように、3度も王宮から逃げて保身に執着した仁祖。民衆が強い不信感を抱いたのも当然だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

仁祖(インジョ)の正体!王になってはいけない男

悪夢の父子!仁祖(インジョ)と昭顕(ソヒョン)世子の確執

歴史解説!仁祖(インジョ)と貞明(チョンミョン)公主の確執

仁祖(インジョ)と昭顕世子(ソヒョンセジャ)の不幸な親子関係!

仁祖(インジョ)が昭顕世子(ソヒョンセジャ)の一家を滅ぼした理由とは?




固定ページ:
1 2

3

関連記事

ページ上部へ戻る