政変を起こして最高実力者になった首陽大君(スヤンデグン)!

古代中国の実例

首陽大君と共に政変で功を立てた人たちは、信じられないほど出世した。これで、首陽大君の意のままに動く新しい政権が誕生した。
首陽大君には、もう怖いものはなかった。
朝鮮王朝の権力はすべて彼の手に入った。一部では、目に余る彼の行動について異議が出されたが、首陽大君を擁護する大臣たちは、「首陽大君はただの臣下にあらず。周公の例をもって待遇すべし」と反論した。
この“周公”とは、古代中国で孔子が聖人のお手本だと評価した人物である。
周公はその昔、殷を滅ぼして周を建国した武王の弟だ。武王が早く亡くなって幼い成王が即位すると、周公は摂政となった。彼は反発する勢力を強力に制圧する一方、後世の規範になった礼と楽を成立させ、諸侯たちを統率して封建制度を完成させた。まさに、周の基盤をつくったのだ。それほど強力な権力と素晴らしい業績を立てた周公だが、甥である成王が成人すると、すべての権限を王に返して臣下の座に戻った。




首陽大君もまた、先王だった文宗の弟として、甥である幼い端宗を助けて摂政を行なう形になった。そこで、首陽大君の側近たちは彼を周公にたとえたのである。
しかし、首陽大君は周公ではなかった。実際に、首陽大君が端宗から王位を奪ったのは、癸酉靖難から2年後のことだった。

悲劇の国王・端宗(タンジョン)/朝鮮王朝歴史全集4

『不滅の恋人』のイ・ガンは首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)のこと!

首陽大君(スヤンデグン)は甥から王位を奪って世祖(セジョ)になった!

安平大君(アンピョンデグン)が『不滅の恋人』のイ・フィとして甦った!

安平大君(アンピョンデグン)と対立した首陽大君(スヤンデグン)は何をしたか?




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