孝明世子(ヒョミョンセジャ)はどんな人物だったのか?

 

課題は健康問題

◆孝明世子の業績で特筆すべきは、宮中行事を改善して冠婚葬祭の典礼を新たに整備したことだ。朝鮮王朝は儒教を国教にしているので、先祖に対する祭祀は最重要な儀式に位置づけられていた。そうした祭祀においても、孝明世子は自ら先頭に立って礼楽を整えたりした。
◆孝明世子は次々に実績を作っていった。民衆のために刑罰を改めたりもした。彼の統治が続けば、朝鮮王朝は様々な面で改革が進んだことだろう。しかし、孝明世子の最大の課題は健康問題であった。
◆1830年、孝明世子は喀血して病床に伏してしまった。王家の治療チームの中に、漢方薬に詳しい官僚も加えられた。当時の朝鮮王朝の中で漢方薬の専門家が身分を越えて集められたのである。事態はそれほど深刻だった。
◆結局、孝明世子は21歳という若さで亡くなった。誰もが朝鮮王朝の未来に希望を持てなくなってしまった。




◆政治を代行した期間はわずかに3年間だった。あまりに短いと言わざるをえない。しかし、その期間になし遂げた業績も多い。もし国王になっていれば、世宗(セジュン)と同様の名君になっていたことだろう。早すぎる死があまりに惜しまれた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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