19代王・粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝国王列伝19

激しい対立が起こった理由は?

上昇志向が強くわがままだった彼女は、1688年に粛宗の息子となる昀(ユン)を出産。その子が後継者に指名されると、態度はさらに横暴になった。
1701年、張禧嬪は激しい気性が災いして、官職を剥奪された上で死罪となった。しかし、粛宗は昀の王位継承権を変えなかった。
一方、粛宗は側室だった淑嬪(スクビン)・崔氏(チェシ)との間にも延礽(ヨンイン)という息子を授かっていた。




こうなると、宮中では罪人の息子である昀を王にするより、延礽を王にすべきだという意見が多くなった。宮中は昀派と延礽派に分かれ、激しい対立が始まった。
その最中に、粛宗は1720年、59歳で息を引き取った。

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