光海君(クァンヘグン)の「やむにやまれぬ人生」!

統治能力は高かった

宣祖が1608年に亡くなった。
実は、宣祖は「光海君に王位を譲る」という遺言を残したのだが、永昌大君を支持する一派がその遺言を握りつぶしてしまう。
ただ、永昌大君には弱みがあった。まだ2歳だったのだ。この幼さで王になるわけにはいかない。
結局、光海君が15代王になった。
しかし、即位後も激しい権力闘争が続いた。




まさに骨肉の争いで、光海君の派閥が臨海君を1609年に殺害し、1614年に永昌大君の命を奪った。
同時に、仁穆王后を幽閉して大妃(王の母)の身分を剥奪。結果的に、義理の母に対する光海君の仕打ちが、後に大きな怨みを買った。
しかし、統治能力だけで判断すると、光海君は名君に列せられても不思議でなかった。豊臣軍との戦いで荒廃した国土の復興に尽くして王宮を再建。国防を強化して異民族との外交でも成果をあげた。
しかし、人間の怨みだけはどうしようもない。復讐心は恐ろしいエネルギーとなって、対象の人物に襲いかかる。(ページ3に続く)

光海君(クァンヘグン)の妻と息子夫婦は悲惨な最期を遂げた!

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