『華政』の主人公の貞明公主(チョンミョンコンジュ)はその後をどう生きたか?

 

1636年12月、朝鮮王朝は強国の清に10万人以上の大軍で攻められた。朝鮮王朝は防戦するが、兵力があまりに違い過ぎた。仁祖(インジョ)は、都の漢陽(ハニャン)の南側にある南漢(ナマン)山城に避難したが、結局は敗北した。そのとき、貞明(チョンミョン)公主はどのように行動しただろうか。




民衆を救った王女

貞明(チョンミョン)公主は都の漢陽を離れて、漢江(ハンガン)の河口の目の前に浮かぶ江華島(カンファド)に避難した。
このときに有名な出来事があった。それは何なのか。
実は、清が漢陽を攻めたとき、多くの民衆が恐怖におののいて我先に逃げだした。貞明公主が江華島に避難しようとしたときも、かなりの数の民衆が「一刻も早く安全な場所まで逃げたい」と思って船着場に集まっていた。
その光景を見た貞明公主は、側近に命じた。
「すぐに荷物を全部下ろしなさい。まずは、多くの民を船に乗せることが先決です」
側近たちは困ってしまった。荷物は高価なものばかりだったからだ。




だが、貞明公主の決意は固かった。それによって多くの人たちが船に乗ることができた。助けられた民衆は、貞明公主を褒め称えた。
「このようなお方なら子孫が栄えることでしょう」
その民衆の言葉は事実となった。
(ページ2に続く)

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