張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝歴史全集13

激怒した粛宗

せっかく王宮に戻ってきた仁顕王后ですが、病弱で床に臥せっていることが多かったようです。その末に1701年8月に亡くなりました。
このとき、張禧嬪が祠を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが淑嬪・崔氏の証言によって発覚します。
粛宗もすでに張禧嬪から心が離れていますから、死罪に値すると思ったのでしょう。1701年9月、粛宗は重臣たちの前で張禧嬪を激しく非難します。




「1回も中宮の見舞いに来なかったばかりか、彼女を呼び捨てにして邪悪な人だと評していた」
「密かに神堂を建てて、怪しげな者たちと祈祷をしておかしな動きをしていた」
「今や、その罪が明らかになった」
ここまで言い切った粛宗は、最後に語気を強めて次のように命令しました。
「張禧嬪を自害させよ!」
粛宗は自ら張禧嬪の死罪を決めました。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

粛宗と張禧嬪について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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