文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行(再読版)

中宗が寵愛した側室

犯人が特定できない中で、中宗の母の貞顕(チョンヒョン)王后がこう語った。
「東宮の件は誰がやったかわからぬが、大殿に関しては敬嬪(キョンビン)が疑わしいのではないか」
王室の最長老に名指しされたのは、敬嬪・朴(パク)氏であった。
この敬嬪・朴氏というのは、中宗に一番気に入られていた側室だった。
しかも、彼女は福城君(ポクソングン)という中宗の息子を産んでいた。




世子が早世するようなことがあれば、福城君が中宗の後を継ぐ可能性もあった。
それゆえ、敬嬪・朴氏は宮中でも立場が強かった。
そんな状況を苦々しく見ていたのが文定王后だった。
「あの女をなんとかしなければ……」
文定王后にしてみれば、敬嬪・朴氏を陥れる意図が十分にあった。王妃としての自分の立場を強固にするためには、ぜひそうする必要すらあったのだ。
(ページ4に続く)

文定(ムンジョン)王后の悪政/朝鮮王朝歴史全集7

鄭蘭貞(チョンナンジョン)の人生は悪に染まっていた

文定(ムンジョン)王后は人生の中でどんな悪事を働いたか

尹元衡(ユン・ウォニョン)の人生はどのように転んでいったのか

中宗(チュンジョン)の正体!嫌々王になって最後まで影が薄かった




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