外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?

政治的に業績が多い王

1623年のクーデターは歴史的に“仁祖反正(インジョバンジョン)”と呼ばれています。また、かつて燕山君が王宮を追放された事件は“中宗反正(チュンジョンバンジョン)”と言います。“反正”には間違った政治を正すという意味があります。つまり、正道に反した王を追放することが“反正”なのです。
確かに、“中宗反正”は理にかなっています。燕山君はどうしようもない暴君でしたから、彼を追放することは“反正”です。




しかし、“仁祖反正”にはそれほどの大義名分がありません。個人的に光海君を怨んでいた人や王になりたかった仁祖がクーデターを起こしており、“反正”というよりも“政権乗っ取り”と考えたほうがいいでしょう。
結果的に仁祖の治世になってから、光海君を非難する論調が展開され、それが定説になって光海君は暴君のレッテルを貼られたのです。
しかし、歴史的に隠されていることを重層的に調べる学者が出てきて、光海君の評価もガラリと変わります。今では、「光海君は政治的に業績が多い王だった」と言われるようになりました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

光海君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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