政変の原因!首陽大君(スヤンデグン)と安平大君(アンピョンデグン)の対立

張り合った兄弟

世宗の晩年には、王命を伝えることも二人がやっていた。王家の中でも重要な位置にいる大君(正室が産んだ王の息子)たちの一人に一方的に権力が偏ると、後に王権の脅威になると考えた配慮だった。
長く一緒に政治に参加していた二人だったが、兄弟愛よりも競争心が強かった。
武人的な資質を持っていた首陽大君に対して、安平大君は詩、書、画に長けた芸術家だった。




特に書は中国までその名がとどろき、彼の書がほしいと願う人が多いほどであった。それだけに、安平大君の自負心も兄である首陽大君に負けなかった。
二人の大君の力が大きくなるにつれて、彼らのまわりには人が集まり始め、彼らがライバル的な関係になると、王宮では首陽大君派と安平大君派ができて、対立するようになっていった。
やがて、その対立がおぞましい政変に結びついていったのだが……。

首陽大君(スヤンデグン)は甥から王位を奪って世祖(セジョ)になった!

王の座を奪った世祖(セジョ)はどんな人生を歩んだのか

世宗(セジョン)の願いをふみにじった世祖(セジョ)の王位強奪!

首陽大君(スヤンデグン)は強い野心で世祖(セジョ)になった!

「朝鮮王朝三大悪女」にはオモテとウラがある!




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