文定(ムンジョン)王后の悪政/朝鮮王朝歴史全集7

悪政が横行

可愛い息子を念願の王にしたのですから、文定王后としてはさぞかし本望でしょうが、それだけで満足する女性ではありません。自分が明宗に代わって長い間政治を牛耳り、敵対勢力を根こそぎ粛清しています。
その反動で、国の政治は乱れ、賄賂が横行しました。16世紀の中盤は朝鮮半島でも凶作が続いて餓死者が続出したのですが、それにかまわず文定王后は自分の勢力保持だけに腐心しました。




粛清と餓死で死んでいった人の数は膨大なはずです。その責任のほとんどが文定王后にありました。
彼女は、1565年に世を去ります。
母親が死んで明宗もようやく一本立ちする機会を得たのですが、それからわずか2年で明宗も息絶えます。
母親があまりに悪政をしたために、心がやさしい明宗はさぞかし心苦しかったのでしょう。明宗も、権力志向が強い王妃が暗躍する朝鮮王朝裏面史の犠牲者と言えるかもしれません。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

文定王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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