朝鮮王朝の基盤を整えた3代王・太宗(テジョン)

康熙奉(カン・ヒボン)著『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(実業之日本社発行/2018年11月2日発売)

太宗を王と認めない太祖

王として即位した太宗は民心を安定させることに尽くした。しかし、父親の太祖は、3代王となった太宗の即位を認めていなかった。そのため、王の証である玉璽(ぎょくじ)を持って故郷の咸興(ハムン)にこもってしまった。
玉璽がなければ完璧な王とは言えないと思った太宗は、咸興に向かって何度も使者を送った。しかし、その使者は太祖によって殺害され、誰1人として戻ってくることはなかった。




太宗への怒りが一向に収まらない太祖だが、次第に自分のわがままで使者を殺害してしまったことを後悔するようになった。その後、彼は自らが王になるきっかけを作ってくれた無学大師(ムハクテサ)の説得を受けて太宗と和解した。
太祖から玉璽を譲り受けて名実ともになった王となった太宗。そんな彼には元敬(ウォンギョン)王后という頼りになる妻がいた。
元敬王后は、太宗が王になる際に裏でいろいろと支えていた。しかし、太宗は王に即位すると元敬王后を冷遇するようになった。
このように国王と王妃の関係は悪化したが、2人から生まれたのが、史上最高の名君と称賛された世宗(セジョン)である。孝行息子の統治によって朝鮮王朝は盤石になった。

文=康 大地(コウ ダイチ)

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